躁鬱病を受け止める事の難しさ
さっきの文章はあくまで私の場合、個人的な場合と脱線してしまったので、
この表題についての文章も残しておきたいと思います。
一般的に、鬱から始まってしまい、最初はうつ病と診断されることが多い病気のようです。
そこから治療を始めて抗うつ剤を飲んでいると躁転というのも多いとのこと。
そこで初めて医者は躁うつ病と診断し治す事も多いようです。
私の場合ももれなくうつから始まりますが、躁の時しか病院に行かなかったので、
すぐに躁うつ病と診断されました。
躁の時は、とにかく気持ちが高揚して、私は何でも出来る。
社長になれる、宝くじが当たる、スピリチュアル能力がある、
私は何でも分かる、すごい人間だと思い込みます。
また若いときは夜な夜な歩きに行ったり、そのまま一人で飲みに行ったこともありました。
そして、他人にはそんなに攻撃はしませんが、私の場合は異性の家族を
ものすごく攻撃します。
赤ワインをかけたり、殴ったりもしました。
弱虫だと、罵ったり、おまえが悪いとすごい剣幕で怒って泣きわめきます。
日頃はしません、そんなこと。
殴ったのは、自分ですが、それも人から家族なら殴っていいもの、と言うか、
それくらい怒っていることを表に出してもいいと言われたのを真に受けて、
と言うのが正しいですが。
でも、その奥底に眠っているもの、全ての怒りの発端は、
やはりまんざらでもない、と言うのが本音です。
ただ、人間は普通理性が働くので、そんなことをしてはいけない、
という防御反応があるはずなのに、躁状態の時は、それがありません。
やりたい放題、ストップがききません。
でも、大体そういうときは、周りがみんなストップをかけようと
全て批判して、余計にこちらの話など聞こうとしなくなります。
私はそこに問題定義を持っています。
「そうか、そうだったか~、どれでどうしたいの?」
と先を見込んで肯定的な返事があれば変わっていたと思うのです。
また話が逸れそうになりました。
投薬で落ち着いて、鬱になってからは・・・・。
すべて私がやりたい、これがしたいと言っていた事は、
躁の病気だったからなんだ、と自分を責め出します。
また脱線しますが、そんなことはなく、病気のせいじゃなく、
心の叫びだったと今になっても思うことは多いです。
だから、病気と病気じゃない狭間というか、その加減はとても難しい事になります。
全てを躁と鬱の病気のせいには出来ないのです。
医学書にかいてある通りになんてしなくてもいい。
でも、そう言ってあげたいのは過去の自分へであって、
本当に鬱というのはしんどいものです。
本当の自分なんて分からない、そして病気だと言うことを認識するのも、
本当に難しいことだから。
ずっとずっと病気と向き合う事をしてきたけど、
本当に自分で自覚出来るようになったのは、ごく最近なのかもしれません。
病気と向き合う事はすごくすごく難しい事で、
根強い偏見と無理解、そして自分自身の中にも偏見と無理解があるから
すごく受け入れがたい。
しんどい病気です。
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